KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年7月号
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35年4388万人が来園2023年5月31日、「スマスイ」の愛称で親しまれた「神戸市立須磨海浜水族園」が惜しまれながら35年の歴史に幕を閉じた。前身の「神戸市立須磨水族館」の開業は昭和32(1957)年。施設の老朽化から昭和62(1987)年に完全リニューアルされたのが「神戸市立須磨海浜水族園」だ。水族“園”としたのには「公園に来た感覚で過ごしてもらいたい」との思いが込められている。実際に遊園地やレストランを備えた1日中楽しめる施設で、35年間にのべ4388万人が訪れた。神戸と水族館神戸と水族館の歴史はさらに古い。明治28(1895)年に京都で開かれた「内国勧業博覧会」の付属施設として和田岬にあった遊園地「和楽園」に水族放養場を設け、海水魚の展示が行われた。閉会後も陳列場は残され、2年後の「第二回大日本水産博覧会」では本格的な設備を有する日本初の水族館「和田岬水族館」が誕生。明治35(1902)年には湊川神社の敷地内に移設されたが明治43(1910)に閉館。昭和5(1930)年になって「神戸市随一の盛り場新開地(当時の新聞による)」のとなり湊川公園に「湊川水族館」が開館するも空襲により焼失。終戦から12年後に誕生したのが「東の上野(動物園)・西の須磨(水族館)」と称された「須磨水族館」だ。30年後にリニューアルされた「須磨海浜水族園」は大きな三角屋根の本館に当時「東洋一」とうたわれた「波の大水槽」を備え、大型水族館ブームの先駆けとなる。ラッコが人気を呼び初年度の入園者は239万人と当時の日本最高記録を更新。2年後にイルカライブが始まると、その人気は不動のものとなる。阪神・淡路大震災で飼育生物の半数以上を失い、館内が避難所になるなど苦難のなか、多くの支援を受け3カ月後には営業を再開。その後も、ユニークなイベントなどで73

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