KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年7月号
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婦です。そういった家庭環境から、僕は親から特に勉強しろと言われたこともなく、何なら学校の成績表やテスト結果も親に見せたりせず(成績表には自分で勝手に判子を押して学校に返していました、済みません!)、自由気ままに伸び伸びと少年時代を過ごしていました。家庭の中に科学に関する興味を掻き立てるものがあったわけでもありませんので、特にそれに興味があったわけでもありません。じっと座っているのが苦手だったので、勉強は嫌いでしたね。今でもそうですが。現代の日本では子供は大切に育てられますが、僕が育った昭和の昔はそうではありませんでした。玩具や本は姉や兄のお古で、新しいものはなかなか買ってもらえませんでしたし、父が仕事一筋の「昭和の男」でしたので、遊びに連れて行ってくれることも稀でした。でも、愛されていないとか、そういうのとは違いますよ。昭和の子沢山家庭というのは、そういうものだったのです。むしろ、四人兄弟を良く育ててくれて、両親には感謝しかありません。父が仕事の鬼で母も家計を助けるためにパートに出たりして、姉と兄は歳が離れているのであまり家にいないとなると、友人と外で遊んだ後、家に帰って来ると、独りで過ごすことが多くなります。そうしたとき、僕は家にあるもので何らかの遊びをするわけですが、先に述べたように僕には「自分用に買ってもらったものがない」、つまり年上の家族用のものしかないわけですから、当然ながらそういう本などを読むことになります。その中で僕の一番のお気に入りは図鑑でしたが(イラストが多いため)、文章は容赦なく漢字で書いてあります。そこで僕は、それを読むために、小学校に入る前から漢字を読めるようになりました。また、もうひとつのお気に入りは、百科事典でした。昭和期を過ごした読者の方であればご存じでしょうが、当時の家庭には、必ずと言っていいほど、重厚な百科事典が置いてあったものです。僕の父は見栄っ張りでしたので、自分では読みもしないのに、全二〇巻にも及ぶ箱入りの百科事典を客間に飾っていました。その、一冊一冊ですら子供の僕には箱から取り出すのも大変な事典を、暇潰しに読んでいました。これは実に最高の暇潰しになるのですよ。ある項目を見ると、知らない言葉ばかりで文章が構成されているので、それらの言葉を調べると、また知らない言葉が出て来るのでそれをまた調べ──という風に、無限に暇潰しが出来るのです。特に誰も教育してくれるわけでもない家庭で、僕はこのようにして子供時代を過ごしました。PROFILE多田 将 (ただ しょう)1970年、大阪府生まれ。京都大学理学研究科博士課程修了。理学博士。京都大学化学研究所非常勤講師を経て、現在、高エネルギー加速器研究機構・素粒子原子核研究所、准教授。加速器を用いたニュートリノの研究を行う。著書に『すごい実験 高校生にもわかる素粒子物理の最前線』『すごい宇宙講義』『宇宙のはじまり』『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』『ニュートリノ もっとも身近で、もっとも謎の物質』(すべてイースト・プレス)がある。57

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