KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年6月号
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射撃で吹き飛ばされて死に、故障した機銃を修理しようと焦っているところを砲撃されて死ぬ。そんな過酷な状況を、水木サンは「小便をするような感じで人が死んでいく」と、評していた(「水木しげる漫画大全集」の月報の対談)。それくらい死が日常的だったということだろう。かと思えば、決戦の前に童貞を捨てるため、従軍慰安婦のいる「ピー屋」に行くと、営業終了の五分前なのに、七十人ほどが並んでいたり、一日中塹壕掘りをさせられる兵士たちの話題が、今、目の前に女と芋が現れたら、どちらに飛びつくかという問題で、答の出ない議論が延々と繰り返されたりする。つまり、性欲と食欲が極限まで飢えさせられるのが戦争という赤裸々な描写で、凡百の平和論などよりはるかに強く「戦争はイヤだ」と感じさせてくれる。また、水木サンの戦争漫画では、運と偶然の要素についても考えさせられる。大河の両岸に張った綱を手繰って、二人一組で小舟で渡るとき、水木サンは前に乗り、対岸に着くと、後ろの兵隊がいなくなっていた。途中で風が吹いて、後ろの兵隊の帽子が飛ばされ、それを拾う気配はあったが、水に落ちた音もしない。不思議に思って現地人に聞くと、「おー、ワニ、ワニ」と言われる。ワニに食われたというのだが、半信半疑でいると、数日後、ワニに食いちぎられた下半身が川べりに流れつく。この状況から、水木サンは偶然によって生かされていると感じる。なぜなら、自分が小舟の前に乗ったのはまったくの偶然で、仮に後ろに乗っていても、風は同じように吹き、帽子も飛ばされただろうから。水木サンの所属する小隊が、明け方の奇襲に遭い、水木サン以外は全滅したときもそうだ。小隊は十人で、順に不寝番に立っていたが、水木サンはたまたま明け方の十番目で、離れたところにいたため小隊が攻撃されたときに生き残ることができた。これはもちろん戦時だけの話でなく、事故も災害も病気も事件も、偶然の重なりによることは否めない。「総員玉砕せよ!!」に話をもどせば、ラストでは誤った玉砕報告のせいで、理不尽に自決に追い込まれる軍医や小隊長が描かれる。兵士たちは軍上層部の都、、合で、死の突撃を敢行させられ、丸山も「みんなこんな気持ちで死んでいったんだなあ。誰にみられることもなく」とつぶやきながら、血まみれになって死ぬ。これほど強く、また真剣に戦争を忌避させる作品を、私はほかに知らない。「冴えてる一言」~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~定価:1,980円(税込み)光文社 久坂部 羊さんの新刊47

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