「あ、清水さんや。工場長がやられとる」さっそく数人がかりで清水さんを戸板に乗せて上鳴尾の会社の病院に運んだ。》 このあと、生々しい描写が続くのだが、この病院が現在の明和病院というわけだ。そして「あとがき」から一部。《この本には、生きている人、亡くなった人のことが半々に出てくる。私は、亡くなった人びとの話を、生きている人の口から聞きながら、ふと、思ったことがある。(略)亡くなった人、戦死した人びとも、もし生きて今日在れば、この人たちと同じように考え、活躍されたことだろうと思い、いまの平和が大きな犠牲の上になり立ったものであることをいたく感じた。》この「あとがき」が書かれたのは1993年。30年も前だが、今この時代にも考えさせられる言葉だ。先に「紫電改」の仕事に携わった人を三人取材したことがあると書いた。そのうちのお一人のことは本誌2021年9月号に「百四歳の人」と題して書いている。その一部。《戦前、西宮市鳴尾にあった川西航空機に勤め、有名な戦闘機「紫電改」の試作係長として従事。昭和17年には姫路製作所に出向し指導にあたる。 ところが、そこで米軍の空襲に遭い、九死に一生を得ておられる。 「昭和20年6月22日のことでした。休憩時間に壁際に座って煙草を吸いよったら一トン爆弾に吹っ飛ばされて、隣に座ってた仲間が死にましたんや。この空襲では、工員74人が死にました」と、強運の人でもある。》この竹本さんには何度もお会いしたが、すこぶる元気な人で、「長寿のギネス記録、作ろと思てますねん」とおっしゃっていた。残念ながら百四歳でお亡くなりになったが、病気がちのわたしはあやかりたい。(実寸タテ11.5㎝×ヨコ4㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。87
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