KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年5月号
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奪われた青春直木賞作家で天台宗大僧正、中尊寺貫主にして参議院議員…。こんな多彩な肩書を持っていた今東光(1898~1977年)。論客として意見を求められる場も多く、テレビや雑誌などでの人生相談をはじめ、メディアにも引っ張りダコ。肩書に縛られず、歯に衣着せぬ説法で、人の悩みを解決したり、本音で世間の常識に斬り込んでいくことから、ついたニックネームは〝毒舌和尚〟だった。天衣無縫な東光の人生らしく、生まれたときから居場所を定めず全国を転々とした。多感な青春時代を送った場所は神戸だった。彼の波乱の人生は神戸で幕を開けた…と言っていいかもしれない。1898年、東光は横浜市で生まれた。父が日本郵船の海外航路の貨客船の船長だったため、幼い頃から日本各地の港を転々とし、北海道や大阪など引っ越しを繰り返し、10歳の頃から神戸市東灘区で暮らし始める。彼と同じく日本郵船で船長として勤めていた父を持つ、後の劇作家、郡虎彦とは神戸時代、自宅が近く、父同士が友人だったことから仲良くなり、郡に影響を受けて文学に目覚める。早熟だった東光は日本文学だけでなく、漢文も習得し、北原白秋や室生犀星らと文通するなど文学の世界にのめり込んでいくが、その頃、人生を変える〝事件〟が起きる。旧制関西学院中等部4年の1学期。牧師の娘と交際したことを咎められ、退学処分を受けてしまう。何とか転校先を見つけ、旧制兵庫県立豊岡中学校に通い始めるのだが、ここでも地元の文学を志す少女と交際したことを理由に退校処分となる。4年の2学期のことだった。行き場を失った東光は上京する。本人曰く「旧制中学を中退後はすべて独学だった」と振り返るように、誰も真似できない東光ならではの〝独学〟の道を歩み始める。「盗講」で独学東光の著書「毒舌 身の上相談」(集英社文庫)の中にこんな一文が綴られている。神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊲前編今東光〝毒舌和尚〟への道…神戸での挫折を糧に118

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