KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年4月号
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うに感じるのが、映画だった。あの荒唐無稽な『007/ゴールドフィンガー』(65年)も気の抜けないサスペンスは見事だし、シンプルで平凡な画面も不思議に見飽きることはない。そんな持久力のある映像はどのようにして撮られたのか。それが駆け出し者の研究課題だった。80年代は映画のお手本みたいな作品は少なくなっていたが、元脇役俳優のレーガン大統領が号令した新自由主義経済の下、ハリウッド映画やコカ・コーラのアメリカンカルチャーとやらが世界を席巻した時代だ。残念ながら、日本映画に見映えのするものは少なかった。ボクら若手が撮らされた角川映画も所詮、原作の文庫本やアイドル女優の主題歌レコードを売る戦略の一品目に過ぎなかったし、娯楽の王道を行くアメリカ映画とは比べようもなかったのは確かだ。人々は欲望の向くまま、カネで買えないものはないとばかりに、消費に突っ走る時代だった。85年の5月から、ボクはその角川映画で『二代目はクリスチャン』(85年)の準備に入るのだけど、何でも勉強だと思って観たのが『ビバリーヒルズ・コップ 』(85年)だ。エディ・マーフィは人気者で劇場は満員。でも、ボクは彼の早口の台詞回しと劇画チックな演技に乗れず、ビバリーヒルズに旅行にきたみたいに眺めてるだけだった。ボクにこんな能天気な刑事モノは作れないが、音楽を巧く入れて緩急自在に話を運ぶ一歳年上の監督の業には脱帽した。後にデ・ニーロと組んで撮る賞金稼ぎの話、『ミッドナイト・ラン』(88年)で職人の本領を発揮するマーティン・ブレストだが、実はもう長い間、作品を発表していないのも気になる。ここらで一発、返り咲いてほしいところだが。自作のクランクインはまだ先だし、『眠れぬ夜のために』(85年)というタイトル通りの不眠症の男が謎めいた美女と逃げ回る話も観た。美女のミシェル・ファイファーは妖艶だった。気楽に撮って遊んでるような感じがして、お前も肩の力を抜いて作ればいいんだと勇気づけてくれた。梅雨時に入り、京都の撮影所で準備が始まり、気分が煮詰まったので観たのが『ターミネーター』(85年)だ。核戦争後の未来から、シュワルツネッガー扮する殺人ロボットが素っ裸で現れたので爆笑したが。この大袈裟なアクション活劇は仕事の足しにはならずだった。黒澤明の『乱』(85年)も観た。正直、話が退屈でつらかった。ボクの知る黒澤ものは少ないが、見応えがあるのは『隠し砦の三悪人』(58年)か。ビデオで観ただけだけど。映画は劇場の銀幕サイズでないと何も見えんぞと巨匠に叱られそうだ。いつか東京の国立映画アーカイブあたりで再上映してほしいものだ。今月の映画『ナバロンの要塞』(1961年)『スパルタカス』(1960年)『眠れぬ夜のために』(1985年)『隠し砦の三悪人』(1958年)41

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