ハリウッドからの弔辞「近い将来また会いましょうと言われ、それを楽しみにしていました。私の祈り、愛を…」この言葉は1998年12月13日、東京都内で営まれた淀川長治の「お別れの会」で、ハリウッドスター、アーノルド・シュワルツェネッガーが電報で寄せた弔辞だ。淀川は1998年11月11日、89歳で亡くなった。淀川とシュワルツェネッガーには〝深い因縁〟がある。大ヒット映画「ターミネーター」(85年)でサイボーグを演じ、世界に名を馳せたシュワルツェネッガーだが、同作の公開当時、舌を噛みそうな発音の長い名前を覚えることに日本の映画ファンは戸惑っていた。そんなとき、淀川は彼をこんな短いニックネームで呼んだ。「シュワちゃん!」と。筋肉の鎧をまとった元世界ボディービルチャンピオン。その屈強な外見とのギャップがおかしく、親しみの込もったこの愛称は子供から大人まで、すぐに定着した。淀川はあえて近寄りがたいハリウッドスターたちをお茶の間に近づけることに腐心しているようにも思えた。シュワちゃんだけではなかった。あの強面の米俳優、スティーブン・セガールも、淀川のお別れの会へこんな心の込もったメッセージを寄せている。「もしも、私の声が聞こえたらこう言いたいです。ありがとう、ありがとう」映画に国境がないことを、淀川は自身の生き方で示し、多くの世界のスターたちが彼を慕った。国籍に関係なく人を引き付ける彼の魅力はもちろんだが、映画に対するあふれんばかりの愛情と博覧強記の知識に俳優や監督ら数多くの映画関係者が敬意を表していた。お別れの会で、彼の友人代表として出席した女優、黒柳徹子さんの弔辞は印象的だった。「アフリカの国では、お年寄りが亡くなると大きな図書館が一つ消えたようなものだ、と言いますが、淀川先生が亡くなって、そのことを強く感じます」 神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㊱後編淀川長治海外スターも魅了…生きた映画図書館は永遠に118
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