KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年3月号
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辻占いが大当たり?─淡路屋が駅弁を売り始めたきっかけは。寺本 創業家はもともと、大阪の曽根崎新地で「淡あわう宇」という料亭を営んでいましたが、阪鶴鉄道が大阪から舞鶴へ向けて線路を延ばしていくようになり、そこの構内で弁当を売りはじめ淡路屋を創業したのが今から120年前、明治36年のことです。─阪鶴鉄道はいまのJR福知山線の前身ですね。寺本 最初は大阪でつくって車内で売っていたのですが、後に上り列車でも下り列車でも売れるようにと伊丹に調理場をつくり、その後、駅弁を池田駅、生瀬駅、福知山駅や園部駅で売りました。池田駅はいまの川西池田駅で、阪鶴鉄道の本社もあったのですよ。─それにしても料亭から駅弁へと大胆な転身ですね。寺本 明治30年頃、東大阪にある瓢箪山稲荷神社の辻占い「ひっぱりだこ飯」「あっちっち但馬牛すきやき弁当」など数々のヒット商品を送り出す駅弁でおなじみの淡路屋が創業120周年を迎えた。創業のきっかけから、愛され続ける商品の開発について寺本督社長に伺った。車内販売員(昭和20年代)昭和30年頃の盛り付けの様子戦後まもない神戸駅令和4年に稼働した東京工場33

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