もよかったよ。大村君も会場に来てた気がした。大村君の音楽は、ある時代のひとつの文化だった。それがメディアの地層の中に埋もれていくのが、僕は嫌だった。ライブの音楽監督を務めた亀田誠治、佐橋佳幸は、駆け出しの頃に大村君の音楽があって、彼らはその影響を受けて今、音楽界の最前線にいる。音楽には血脈があってね、いったんばらまかれると見えなくなる。でも血の流れって確かにあるの。ジョン・レノン、ポール・マッカートニーがいて、彼らに影響を受けた僕ら世代がいて、次の世代に続いているっていう流れがね。それって美しいと思う。スタジオミュージシャンとかアレンジャーっていう職業がぼやけていて、正当に評価されていないこともよくなかった。昔ね、バンドって、バンドメンバーが演奏してると思ってたの。その頃アメリカには、レッキング・クルーっていうスタジオミュージシャンの集団がいてね、ものすごく上手いプロ集団。モンキーズもビーチ・ボーイズもザ・バーズも、当時流行ってた曲の多くが、実は彼らの演奏だったの。“サウンドを作る”プロフェッショナルがいたってこと。そんなこと全然知らなかった。その頃のレコードはノンクレジットだったから、レッキング・クルーは誰も知らない影の存在みたいなもんだったの。アレンジャーもそう。『みずいろの雨』は大村君が上京して初めて手掛けた曲で、いきなりミリオンセラーになったけど、世の中じゃ「八神純子はスゴイ」になってた。僕は同じ場所にいたから、大村君のこと「カッコいい人が現れたな」って思ったし、僕のまわりでもすごい才能だと話題になってた。でもアレンジャーの名前は世に出なかった。“サウンドを作る”人たちは見えなかった。はっぴいえんどの後、細野(晴臣)さんは、“サウンドを作る”ミュージシャンを集めて動いたし、僕は僕で詞を書いて、それが内容的にもセールス的にも結びついたのは大滝詠一。時代は少しずつだけど動いているんだよね。meme そんな時代にいながら、亀田さんは大村さんの曲をジャケット買いならぬ、クレジット買いをしていたと話してましたね。松本さんはクレジット買いしていました?松 本 もちろん。ソウルを聴いてた頃があってね、僕が好きなソウルはみんなギャンブル&ハフが作ってたの。後にサウンド・オブ・フィラデルフィアって言われる流れを作ったプロデューサーチーム。途中から誰が歌ってるかはあまり関係なくなって、クレジットばっか追ったよ。大滝さんはフィル・スペクターが好きで影響を受けてた。フィルとエリー・グリニッチがプロデュースしたのが、ザ・ロマネッツ「Be My Baby」。シャングリラスにもエリーの曲があるし、デイヴ・クラーク・ファイブの僕が好きな曲もエリーが作ってたって最近知って懐かしくなった。そういうことって知ると面白いでしょ。好きな曲を同じ人が作っていたり、同じ人が演奏していたりするかもしれない。今ってサブスクリプションで音楽が聴けるからいいね。最新のランキング関係なく、新旧ごっちゃでいい音楽が聴けるんだから。写真.板東 毅弘 構成.田中 奈都子19
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