KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年3月号
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テレビの名解説者現在のように、まだインターネットでの配信やBS、CSなどテレビの衛星放送がない時代。新作映画は劇場のスクリーンで、そして過去の名画は地上波のテレビ放送で見るのが当たり前の時代があった。「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ…」。毎週日曜午後9時から放送されていた人気番組「日曜洋画劇場」(テレ朝系)で映画解説の後、映画評論家、淀川長治(1909〜1998年)は、毎回、このお馴染みのフレーズで番組を締めくくった。1966年から約32年間、亡くなる前日の放送まで、彼は映画の魅力を情感豊かな言葉でお茶の間へ伝え、愛嬌たっぷりの笑顔で「サヨナラ、サヨナラ…」と語りかけた。この独特のあいさつは、いつしか彼の代名詞として語り継がれるようになっていく。淀川は1909年4月10日、神戸市兵庫区で生まれた。「彼は映画の申し子だった」。今も彼が、そう称されるのはなぜだろうか?評伝「映画少年・淀川長治」(荒井魏著、岩波ジュニア新書)の中で、彼のこんな誕生秘話が明かされている。《長治誕生前日の四月九日夜、長治の母りゅうは、夫の又七とともに兵庫区新開地の映画館で映画(当時の「活動写真」)を見ていた。その最中に、突然産気づいた》両親ともに無類の映画好きだった。「映画とか芝居を見るのが好きだったのは、父譲りの血だね」と彼自身、生まれながらにして映画好きを自認し、物心ついた頃から映画漬けの日々を送っていた。育った環境も、また彼の自宅があった〝立地条件〟も映画に恵まれていた。「そのころ私が住んでいた神戸の新開地には、キネマ倶楽部、桂座、錦座、菊水館、朝日館など、いくつもの活動写真館が軒を連ねていました」と、自伝「生死半半」(幻冬舎文庫」)の中で淀川長治新開地は僕の映画学校…神戸で生まれた〝映画の申し子〟神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㉟前編130

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