―高尾先生が乳腺外科を専門にされたのは何故ですか。卒後神戸大学第一外科に入局し消化器外科の専門医を目指していました。入局4年目に研修に行った兵庫県立成人病センター(現・兵庫県立がんセンター)では乳腺の分野に力を入れていて乳がんの患者さんを診る機会が多く、当時の外科部長・河野範男先生から乳腺疾患、特に乳癌診療の奥深さを教えていただいたのをきっかけに乳腺という臓器を通して乳がん患者さんの全てを診る乳腺外科に興味を持つようになりました。当時最先端分野であった分子生物学が乳がんの研究にも応用され始めていることを知り、神戸大学第一外科乳腺グループに入り、大学院の基礎研究に進みました。―乳腺外科専門医になられたのですね。外科と内科という線引きでは「乳腺外科医」ですが、私たちは泌尿器科や婦人科、眼科、耳鼻科といった臓器別の診療科と同じく、乳腺という臓器を専門に主に乳がん患者さんの診断から手術、薬物療法、緩和治療まで包括的に担う「乳腺科専門医」という意識を持って患者さんと向き合っています。最近は診断に関してはMRIやPETなどを放射線診断科、薬物治療に関しては腫瘍内科、その他にも放射線治療科、緩和治療科など各科が分担して乳がん患者さんを診るようになってきていますが、それらを統合して主治医として診るのが乳腺専門医です。―高尾先生の癌研究会癌研究所病理部研究員という経歴は?がんの外科手術では、最終的な病理診断に則って治療方針を決定します。特に乳癌治療では病理診断が重要な役割を担っています。私は四十歳になる前に、乳腺診療の根幹になる乳腺病理をもっと詳しく知りたいという思いを持ち、河野先生の紹介で当時の癌研究会癌研究所乳腺病理部長だった乳腺病理の第一人者・坂元吾偉先生の元に国内留学しました。研究員として毎日、朝から晩まで病理標本と格闘し、合間を見ては乳腺外科の手術や会合にも参加する日々を過ごしました。わずか一年の間でしたが、坂元先生、そして乳腺外科部長だった霞富士雄先生から何年分もの教えを受けたと思います。「乳がんの患者さんを診るということはその人の一生を診るということだ」という言葉を坂元先生から頂き、今でも肝に銘じています。―その経験をどのように生かされたのですか。癌研から戻って勤めた病院で甲南医療センター83
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