KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年2月号
39/124

気楽な映画もたくさん観た。すべての映画が監督の勉強だった。ロバート・レッドフォード主演の『ナチュラル』(84年)は戦前のアメリカの野球界が舞台で、ある事件の為に身を引いていた選手が遂にメジャー戦に復活し、心のしこりを消散させてホームランをかっ飛ばす。映画のカタルシスを久しぶりに学んだ瞬間だった。 『ライトスタッフ』(84年)も封切りを待ち望んだ一作だった。有人宇宙飛行を目指して訓練する7人のパイロットの実話だ。宇宙飛行士の「正しい資質」に従って訓練し、音速越えに挑む者たちをしっかりと捉えていた。オレには監督の才能以前にその資質はあるのか?と自分にも問い質しながら画面を追っていたような気がする。クリント・イーストウッドが製作主演した『タイトロープ』(84年)も実によく出来た、『ダーティハリー』(72年)の彼より屈折した女好きな刑事の心の裏に迫るサスペンス劇だった。彼を嘲笑うように猟奇殺人鬼が彼と遊んだ女たちを次々に狙っていく。女優たちが身体を張って役をこなしていた。エロス、猟奇、戦慄、冗談、この短編にも意外に娯楽の要素がほど良く詰まっていた。テレビドラマでは、長年続いた石原軍団出演の「西部警察」シリーズも終わりを迎えていた。でも、ボクはこの警察モノには全く気がいかず、一、二回いい加減に見ただけだった。あの拳銃アクション場面はよその国のようで、日本のリアリズムがなかったからだ。秋になっても、ボクは毎週のように映画館に足を運んで画面作りの勉強をした。特に、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(84年)はイタリアのマカロニウエスタンの巨匠作品で、デ・ニーロ主演の禁酒法時代のニューヨークギャングの話なのでかなり期待していた。でも、その冗漫な展開とどうにも画面に馴染まない大袈裟な音楽に堪えられなくなり、2時間余り見たところで一度、劇場のロビーに出て休憩した。そして、次の回で最初から見直したのだが、やっぱりつまらなかった。後年、テレビ放映でまた見たが、気が散るばかり。これはボクには反面教師になった。年末になると、軽佻浮薄な時代を皮肉るような、『ゴーストバスターズ』(84年)がアメリカから半年遅れでやって来た。騒々しいだけの年末にふさわしく、社会の理不尽を鼻で笑ってるようでそれが愉快だった。ラストで、バスターたちが魔界の破壊神に「どんな方法で滅ぼされたいか想像してみろ」と迫られ、マシュマロマンが現れたのには感心した。アメリカではここで手を叩いて笑うと聞いていたが、渋谷の映画館はそうでもなかった。日本人が笑いまくるものを見たかった、いや、撮りたかった。今月の映画『ナチュラル』(1984年)『ライトスタッフ』(1984年)『タイトロープ』(1984年)『ゴーストバスターズ』(1984年)39

元のページ  ../index.html#39

このブックを見る