の剣の道に対する思いを否定する。『しょせん、剣とは人を殺すだけのものであり、その外のリ・・・クツは大道で野師(ママ)が下らぬ品物を口先一つで高く売りつけるのと同じく、人を勘違いさせるものにすぎないのだ』実際の武蔵がそう思ったかどうかは別にして、ここには水木サンのヒリヒリするようなリアリズムとニヒリズムが息づいている。いざ、巌流島に到着すると、そこには『スペインの闘牛士のように派手に着飾った小次郎』が待っている。鉢巻に派手な柄の陣羽織をつけ、胸にはバラリボンまでつけて、もてはやされたい気持ちが全開の小次郎が描かれる。それを見た武蔵は、『その小次郎の不真面目な人生観にはげしい怒りをおぼえ、思わず侮蔑の一言が口をついて出た』とあり、有名な「お前の負けだーっ」が発せられる。闘いは小次郎の突進と、武蔵の櫂の一撃で、小次郎が「モーッ」と闘牛の牛のごとく砂に突っ伏して、あっけなく終る。そこで小次郎の描写。『小次郎は、子供がクリスマスケーキを食いそこねたような顔をして死んでいた』どうやったらこんなユニークかつリアルな比喩が思いつけるのか。文章を専門とする小説家でも、ここまで実感のある表現は簡単にはものせないであろう。さらに決闘を見物していた殿様と家老は、『強い「番犬」をほしがるような顔をして武蔵にみとれていた』と書かれ、その他の見物人たちは、『その目つきは、ショウをたのしむアメリカ人の目つきだった』と書かれる。いずれの描写も、たくまざるユーモアとシュールなリアリズムを兼ね備えた絶妙の比喩である。ほんの13ページの短編一作にして、これだけ感心させられるのだから、水木マンガの奥深さは、実にただ事ではないとしか言いようがない。同じシリーズの「剣豪とぼたもち」では、茶店で注文したぼたもちが、自分より先に雲助に出されたことでムカついた武蔵が、そんなことで雲助と争っては剣豪の品位を傷つけると自制したあと、こう独白する。『俺はむしろ品位という名の下に、人を軽蔑する快感にひたるくせがあった』これなども、上品ぶっている似非セレブに、ぜひとも聞かせてやりたいト書きだ。品位は大事だが、たしかにその裏には品位のない人への軽蔑が潜んでいる。自戒を込めてそう思う。「冴えてる一言」~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~定価:1,980円(税込み)光文社 久坂部 羊さんの新刊37
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