隆治は大正10年、皇道宣揚会を立ち上げ、その協賛員には近衛文麿、鳩山一郎、板垣征四郎などが名を連ねている。そして昭和4年の昭和天皇即位の御大礼で使われた材木が下賜され、昭和9年、この材を主材に高御位山の麓に本庁や修養道場を建てたが、これが高御位神宮のはじまりだ。当時は合気道の創始者、植芝盛平もここで武術を教えていたという。戦後、皇道宣揚会は高御位神宮として再出発。その後しばらく隆治の息子、九鬼宗隆がここを守っていたが、熊野大社の宮司となり息子の九鬼家隆氏に継承、やがて彼も父と同じく熊野本宮大社へ移り、現在も宮司として活躍している。高御座神宮の宮司職は紆余曲折を経て、大阪、諏訪神社の宮司であった朝田寿海氏、さらに朝田氏を師とする福岡史晃さんに継承されて現在に至る。このように高御位神宮の歴式ゆかしき 信仰をいまに古90
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