KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年1月号
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がこの一話の撮影事故で命を落とし、これが遺作になってしまったのだ。「軍曹、色々と教えてくれてありがとう」と、この未完成っぽいホラー映画に、軍曹の顔をダブらせながら追悼したのを覚えている。84年の初春、ボクは徹夜続きの撮影に追われていた。角川映画から頼まれた「晴れ、ときどき殺人」(84年)というアイドルものだ。「晴れた日でも殺人は起こるという話だし、好きに撮ってよ」とプロデューサーが励ましてくれた。自分の作りたいものではないけれど、映画とは何ぞやと考える機会でもあったし、脚本家が上げたシナリオに現場で即興ギャグを足し、思いつくまま撮った。この映画の目指すものは何か?と製作者に訊くと、「アイドルファンがアイドルに惚れ直すように料理してくれたら。でも、書店に並ぶ原作本で犯人は誰かはバレてるし、映画では一捻りしてほしいけど」と返された。まあいいや、大いに名を売ってやれとボクも腹を括った。ミステリーに興味は元から無いし、せめて芝居ができる芸達者を探した。先輩のキャスティング担当者が「演劇調の俳優や、悪人役だと意識して演じる奴はダイコンだし外すから」と助けてくれた。久しぶりに聞く名言だ。顔を白塗りして舞台に立つ役立たずという意味だ。そうか、リアリズムなんてこのお伽話には要らないかと思うと、肩の力が抜けて楽になった。浅香光代さんに伊武雅刀、九十九一、中でも名司会者の前田武彦さんは頼もしかった。実は戦時中、郷里の母の実家近くにあった航空隊に予科練習生として赴任し、勤労女学生だった母を覚えてると話してくれた。現場でも前田さんには戦争話を聞いてばかりで、「戦争の真実を撮って下さいな」と言われたのを思い出す。自作は5月末に封切られ、新宿の映画館の舞台挨拶はワイドショーの生中継まで入り、ボクはため息ばかりついていた。翌日、見逃していた「スカーフェイス」(84年)がかかる渋谷の映画館に身を沈めに行った。昔の「暗黒街の顔役」の舞台を現代のマイアミに変え、アル・パチーノがキューバ難民から麻薬密売王に成り上がり自滅するまでを演じた意欲作で、金に溺れて誰も信じなくなる孤独者の叙事詩で、気晴らしどころか、映画の醍醐味とはこれだった。「ところで君の撮ったものはそれは映画か?一体、何だ?」とそのスクリーンから問い糺された気がして、落ち込んで帰ったのも覚えている。人々が現実を忘れようと虚構に生きた時代だ。夏に公開された『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』は空前の大ヒットだった。今月の映画『トワイライトゾーン/超次元の体験』(1984年)『晴れ、ときどき殺人』(1984年)『スカーフェイス』(1984年)49

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