KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年1月号
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神戸暮らし小説「俘虜記」や「野火」など戦争文学の傑作で知られる作家、大岡昇平(1909~1988年)は、生まれ故郷の東京ではなく、社会人となって本拠を構えた神戸で、作家となる基盤を築いた。神戸で就職した会社で知り合った妻と結婚し、自宅を構え、家族を持ったのも神戸。終戦から3年後に東京へと戻るが、フランス語翻訳者として翻訳本を手掛けるなど、文豪としての道を歩み始めるための〝助走期間〟を過ごしたのは神戸だった。2009年。終戦直後の日本で公開されたフランス映画「美女と野獣」(1948年)のセリフを日本語に翻訳した字幕用の原稿が約60年ぶりに見つかり、全国ニュースとして流れ、世間を賑わした。なぜなら、その原稿の翻訳者が、戦争文学の第一人者である作家、大岡昇平だったことが分かったからだ…。大岡は1909年、現在の東京都新宿区で生まれるが、両親はともに和歌山県の出身だった。18歳で「アテネ・フランセ」(語学学校)に通い、フランス語を習い始めた大岡は、知人を通じて評論家の小林秀雄にフランス語の個人教授を受け、小林から詩人、中原中也を紹介されるなど次第にフランス文学に傾倒していく。京都大学文学部を卒業後、東京の「国民新聞社」に就職するが、約1年で退職。1938年、現神戸市中央区に設立された日仏合弁会社の「帝国酸素」に転職する。ここで彼は学生時代に身につけたフランス語の能力を発揮し、翻訳係として働くことになる。この転職を機に、神戸へ移り住んだことで、彼の人生は大きく変わり、後に小説家として活躍することにつながるのだが、神戸時代、彼は、そんな未来をまったく予想していなかった。1939年、社内恋愛で結婚した大岡は神戸市灘区に転居し、一男一女の父となる。大岡昇平神戸での助走…戦争で覚醒した作家魂神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㉝前編142

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