KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2023年1月号
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今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から   虚子の署名一年間かけて大長編小説『徳川家康』(山岡荘八著)全26巻を読み切ったのは昨年春のこと。といっても家康を読んだのは初めてではない。「喫茶輪」の常連さんに、ある食品会社の営業部長さんがおられた。その人が、「朝礼の時の若い社員への訓示に本から得たネタを話すことが多いんやけど」とおっしゃる。そこでわたしは、昔読んだ『徳川家康』全巻を呈上した。彼は喜んで持ち帰った。ところが次回来店時に、「マスター、あの本、読めんかったわ」と。触ったらボロボロとくずれてしまったというのだ。そういえばダンボール箱に詰めたまま、何十年も西日が当たる部屋に置いていたので酸化が進んでいたというわけだ。それはわたしがまだ独身の若き日に読んだものだった。新しい巻が出るのを待ちかねてむさぼり読んだ。それをまた読んでみたくなり、文庫本を一冊ずつ借りて読み進んだ。図書館まで往復4キロ。徒歩で通って、それが健康法でもあった。読み切った時に、もう今後長編小説は読むまいと思った。読み疲れしたのだ。ところがまた今、性懲りもなく長い小説を読み始めてしまった。司馬遼太郎さんの『坂の上の雲』だ。司馬さんの代表作はほとんど読ませてもらっていて、この本も以前に読み始めたことがあり、その時に全8巻、購入してある。しかしなぜか途中で挫折してしまっていた。いつも何冊かの本を併読しているので、別の本に集中して離れてしまい、そのままになったのかもしれない。でも今回再挑戦。読み切りたいと思っている。余談だが、著者の司馬遼太郎さんとは一度顔を合わせたことがある。いや、言葉を交わしたというわけではない。神戸の詩人で評伝作家でもあった足立巻一氏の葬儀が行われた須磨寺でのこと。司馬氏は葬儀委員長だった。その時、会葬者の一人一人にていねいに挨拶しておられ、わたしにもあの白髪の頭を下げてくださったのだった。今、第一巻を読み終えたところだが、登場人物に俳人高浜虚子がある。主人公の一人、正岡子規に師事しその晩年に寄り添う。こんな場面がある。《この夏、高浜清(俳号・虚子)は、松山中学に入ってまだ数カ月にしかならない少年であった。 少年たちは英雄が好きで真之のうわさをあたかも古英雄の逸話でもきくようにきいた。とくに、虚子にとっては真之という存在は他人のようにはおもわれない。112

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