それにしても今思えば無責任極まりない。小さな子ども二人を、知らない場所に下ろして走り去るとは。わたしは途方に暮れる思いだったが、そばを山陰線が通っていて、踏切があり、番小屋があった。そのころの踏切は自動遮断機ではない。踏切番が手動で開閉していたのだ。そのおじさんに尋ねた。「糸井へはどう行ったらいいですか?」と。事情を効いたそのおじさん、バスの車掌のことを大いに怒っていた。教えてもらった道を行くと、やがて糸井橋が見え、糸井村への道が分かった。炎暑の道を弟と二人で歩いた。子どもにとっては遠い道だった。道の脇に細い農水路が流れていて、覗くとフナがいっぱい泳いでいていっとき遊んだりした。祖父母の家にやっと辿り着き、祖父に事情を話すと驚いて、「よう来た、よう来た」と何度も褒めてくれた。今、『じろはったん』を何十年かぶりに読んでいる。その最初の章「鐘つき堂」にこんな場面がある。《村のむこうを流れとるのが、大川。丸山川の上流でな。ずーっと流れて、日本海へ流れこむんや。あの橋は、糸屋橋。橋をわたって、目を、ずっとむこうへやってみ。山が重なりおうたところがあるやろ。あの下に、細長い建物が見える。あれは小学校や。》ここに出てくる丸山川は円山川のこと。そして糸屋橋は糸井橋である。70年前が激しく懐かしい。(実寸タテ10.5㎝ × ヨコ15㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。95
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