今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から じろはったんの里「喫茶・輪」の本棚には、文学書ばかりではなく絵本や児童書も入っている。その中の一冊に『じろはったん』(1973年)という古い児童書がある。作者は、森はな。はなさんは兵庫県但馬の出身。明治42年(1909)養父郡大蔵村宮田(現朝来市和田山町宮田)に生まれる。そしてわたしが生まれたのは養父郡糸井村林垣(現朝来市和田山町林垣)。すぐ近くなのだ。隣村といっていい。この本はその地を舞台にした物語である。わたしは大いに感動して、はなさんが朗読するカセットテープも購入した。これがいい。わたしの大好きな但馬弁だ。このほど何十年ぶりかで聞いてみたが、記憶の中の声よりお若い。これはわたしが年取ったからなのだろう。主人公は知的障害のある青年治郎八。みんなからじろはったんと呼ばれている。やさしくて純粋な心の持ち主。のどかな但馬のレンゲ畑で子どもたちと仲良く遊ぶ人気者。しかし、やがて戦争が…。そして、村に神戸の子どもたちが集団疎開してきて、という話。随分昔、ほぼ70年前のわたしの思い出話をしよう。わたしは夏休みに和田山の祖父母の所へ行った。小学四年生だった。5歳下の弟とたった二人で。父親が三宮のバス停まで送ってくれた。そこで但馬方面へ行く全但バスに乗せられたのだ。停留所に停まりながら行く路線バスである。父は車掌さんに頼んでくれた。「この子らを和田山の糸井橋で下ろしてやってくれ」と。今、ネットで調べてみると、まだこの路線があり、糸井口という停留所もある。急行バスだったのだ。糸井口は、和田山の円山川にかかる糸井橋のすぐ近くである。そこはわたしのよく知る場所だった。そこからなら糸井村の祖父母の家まで行ける。バスに乗っていたのは何時間ぐらいだったのだろうか。車中で弟に「喉が渇いた」と泣かれて困った。水筒は持たせてもらってなかった。長距離バスだったから、途中でトイレ休憩があったかもしれない。でも自販機のない時代である。ほとほと困ったことを覚えている。やがて、車掌さんがあわてたようにわたしたちを下ろし、あっという間にバスは走り去った。しかしそこは見覚えのないところだった。見回したが糸井橋が見えない。車掌がわたしたちのことを忘れていたのだ。糸井橋を過ぎてしまってから気づいたのだ。94
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