KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年12月号
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は、製薬会社の社長が、ぐうたらな息子を非凡にするため、ねずみ男扮する「心配屋」に頼んで、息子に「妖怪バリバリ」を注入してもらう。非凡な研究者になった息子は、人類の病気をすべてなくす「究極薬品」を作ろうとする。すると、驚いた父親はこう言う。「そんなものを発明したら、日本の製薬業界は全滅するじゃないか。きかない薬を作るのが、我々の崇高な使命なんだ」製薬会社の人は怒るかもしれないが、これはある種の真実である。医者だって病気がなくなると困るのだ。ねずみ男が登場する作品以外にも、水木マンガには人生や社会の真実をうがつ「冴えてる一言」が満ち溢れている。たとえば「街の詩人たち」という作品では、小狡い食わせ物の自称詩人が、こううそぶく。「詩と称してウドンのような字を書いてれば世間は通るんだ」書道展などではたしかに「ウドンのような字」にお目にかかるし(書道家のみなさん、ゴメンナサイ)、いわゆる高尚な芸術は、一般市民には理解しがたいものが少なくない。「偶然の神秘」では、水木サン自身が作中に登場し、赤穂浪士は切腹させられても、名前を残して満足かもしれないがと前置きして、こうつぶやく。「名前なんて一万年もすれば、だいたい消えてしまうものだ」私は高校生のころ、この一文に出会い、有名になることへの憧れが一気に霧散した。たしかに一万年前の人間で、名前を残している者はいない。有名になろうが、無名でいようが、すべては消えてなくなると腑に落ちて、気持ちが楽になった。「幸福の甘き香り」では、高級役人の侍が、将来の幸福のため、ガリ勉して昌平黌(大学)に入り、友だちの遊興にも付き合わず貯金をし、妻も「家具と同様、幸福になるため必要」として娶り、子どもも「ペットと同じく幸福に必要」としてかわいがり、老後を幸せにするために息子を大学にやり、ついに寿命が尽きたとき、死の床で「わしは少しも幸福でなかった」ともらす。すると妻がこう言う。「あなたは幸福の準備だけなさったのヨ」こんな皮肉で痛烈な真実のヒトコトが、水木マンガには満ちあふれているのである。「冴えてる一言」~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~定価:1,980円(税込み)光文社 久坂部 羊さんの新刊39

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