KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年12月号
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いう紀行文のほか、未完の小説『新生田川』にも有馬が登場しています。田山花袋は小説『布団』でフェチ作家というイメージですが、実は旅行ジャーナリストでもあり、明治末から大正にかけて『温泉めぐり』など5冊で有馬を紹介、でもそんなに良いこと書いていません。文豪、谷崎潤一郎の作品にも有馬は何度か出てきます。谷崎の定宿は伊藤博文や吉川英治も愛顧した御所坊。その26号室は『猫と庄造と二人の女』に描かれています。そんな谷崎と親しかった永井荷風も、東京の有馬温泉で遊んだそうです。え、東京?そう、実は1884年に中の坊の梶木家が東京・向むこうじま島の秋葉神社に旅館、向島秋葉摂州有馬温泉を開業し、お風呂に有馬の湯の花をまぜまぜして、炭酸水や竹かごなど有馬の物産も販売しておりました。東京の有馬温泉は永井のほか泉鏡花、能の梅若実なども訪ねているだけでなく、やがてここを経営するようになる金子勝太郎なる人物は名女形の歌舞伎役者、三代板東秀調なんですよ、粋ですねぇ。本家本元の有馬温泉に戻って…歌人では与謝野晶子が御所坊から眺めた桜を詠み、吉井勇はいまも有馬の芸妓さんたちに親しまれている歌「有馬の四季」や「風流有馬音頭」を作詞しております。斎藤茂吉も有馬へ来ていますが、これはだいぶ前ご紹介した有馬山の古歌の調査が目的だったようですね。俳人では高浜虚子が大規模な句会を開いています。画家では竹久夢二ですね。そうそう、有馬出身の画家もいます。四天王寺五重塔壁画で知られる山下摩まき起は、幸田露伴の話で申し上げた下大坊でまさに露伴が泊まった年に生誕。『まき筆日記』中の、宿の主人の「娘の子かと思はるゝ嬰みどりご児」は摩起だと思われます。有馬で人生の節目を迎えた偉人もおります。蒋介石は1927年、有馬ホテルで宋美びれい齢との結婚を許され、その喜びの中で書いた書が極楽寺に残っています。この時蒋介石はバツ2。美齢の姉の夫は有馬にも来たことがある孫文。と言うことは有馬が、孫文の後継者は俺だ!という蒋介石のスタンドプレーの舞台になった、という見方もできますよね。この時代、今回ご紹介した人物のほかにも、井上馨、横光利一などなど数多くの偉人名士、文人墨客が有馬を訪ねておりまして、そのエピソードは語り尽くせぬほどでございます。谷崎潤一郎は御所坊を定宿とした109109

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