KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年12月号
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教科書に出てくる人、大集合!有馬を訪ねた近代の著名人明治時代~昭和戦前語り調子でザッと読み流す、湯の街有馬のヒストリー。有馬温泉史略有馬温泉史略第十二席前回・前々回と明治から昭和戦前、つまり近代の有馬温泉のできごとを申し上げましたが、今回はその補足で、この近代という時代にどんな歴史上の人物が有馬温泉にやって来たかというお話でございます。さてさて、1868年、王政復古の布告から1か月ほど後に三田藩主の九鬼隆義が、1872年には福沢諭吉が有馬へやって来ています。この両名、実は接点があり、その仲介役は日本ではじめてビールを醸造した川本幸民です。三田藩に仕えた川本は、マブダチである緒方洪庵の適塾で福沢と知り合ってその才能を見抜き、それでお殿様の九鬼に繋いだ訳で。廃藩置県で藩主じゃなくなった九鬼は、福沢の勧めもあり実業家に転身、神戸に志しまさん摩三商会という商社を立ち上げ大成功!夏は優雅に有馬で避暑しておりまして、そこで出会った宣教師の影響もあり、神戸女学院の前身、女子寄宿学校の創設を支援します。この学校を創立したのは2人のアメリカ人女性でしたが、当時、外国人の土地所有は禁じられていました。そこで、学校の土地の名義人を買って出たのが新島襄でございます。九鬼のオススメがあったのかはわかりませんが、持病のあった襄は妻の八重とともに、少なくとも4度ほど有馬で療養していたようです。さて、文学界からはどのような面々が有馬を訪ねたかをザッとご紹介しましょう。まずは前回も出てきた幸田露伴。友人の児童文学者、高橋太たいか華と一緒に有馬の下大坊に6日ほど滞在したのは1890年のこと。当時は混浴で、その様子を「我は黄濁の湯の中に居て美よからぬ女に肌触らるゝなど極めて恐ろしければ…」などとユーモラスに綴った『まき筆日記』と108

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