本物の絨毯を追求して─ペルシャ絨毯との出会いは。玉木 元は百貨店の外商で、商材をお客さんのところにお持ちするのですが、その中にペルシャ絨毯があったんです。僕にとってはとっても魅力的でしたが、とってもわかりにくいアイテムだったんです。永田 どんなところがわかりにくかったんですか。玉木 高い・安いの差とか。産地も生活の場面で耳にするカタカナにないから覚えにくいんです。仕事は楽しかったのですが、いつしか独立してみたいと思うようになって。もともと良いなと思っていたし、わかりにくいものがわかる方がスゴいですよね。それでペルシャ絨毯を自分のチャレンジする道と決め、イラン人の絨毯会社へ転職して学んだんです。永田 面白そうな会社ですね。玉木 1979年のイラン革命で政治亡命して、イランに帰れない人たちだったんです。王族の側近でいろいろな物を持ち出していたので、倉庫へ行ったら正倉院にあるような切子のガラスがあって驚きました。永田 わかりにくいものがわかるようになった秘訣は。玉木 僕は凝り性な性分で、いくつも買って研究するのは好きなんです。一般的に流通しているものには目もくれず、もっとレアなもの、もっと古いものを追求していったんですね。─そしてその後、独立するのですか。玉木 売上げを追求するのではなく、自分で本物の絨毯を探してそれをみなさまに届けたいという思いで独立しました。テーマとしては「売れても嬉しいけど、売れなくても嬉しい」。永田 絨毯愛がめっちゃ強いですよね。玉木 売れる絨毯は「良く見える絨毯」なんですが、良い絨毯、本物の絨毯は、一般の人には本当にわかりにくいものなのですよ。しかも、高い物が良い物とは限らない。だから、絨毯は売るのも買うのも難しいのです。種類は町の数ほどある─永田良介商店との出会いはいつ頃ですか。玉木 阪神・淡路大震災の後に69
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