KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年11月号
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ンボー」(82年)も見た。ベトナム戦争帰還兵と彼を除け者にする田舎町の住人や保安官らと戦う話だが、単なるアクションものとは違って、ぶっきらぼうなスタローンにしては孤立していく姿が哀れでならなくて、意外に見応えがあった。年が明けて、次作「みゆき」の制作準備に入ったが、なにせ人気漫画のファン向けの映画。なかなか中身に気がいかず、うつ病になりかけたりして片頭痛と闘いながらの準備は捗らなかった。なので、気分転換できて何かの発想の足しになる映画はないものかと探し歩いた。そんな時、今村昌平監督の「楢山節考」(83年)が封切られたが、山に捨て去られる老婆を見る気分にはなれなかった。大島渚の新作、「戦場のメリークリスマス」もすぐには見る気になれなかった。デヴィッド・ボウイは主演者の顔つきではないし、戦闘場面のある戦争映画は撮らないと監督自ら語っていたからだ。ボクは戦争を知らない世代だから、大島渚しか発想できない日本軍の戦闘をワンシーンでもいいから見たかったのだが。映画館の奥の暗闇に身体を沈めながら、現実というのはどうしてこんなに退屈なんだろうといつも思う。外では空が晴れ渡っているはずなのになんでこんな暗闇にいるのかと。もう40年近く前になるか、ニューヨークのソーホー地区の裏通りにある小さな映画館に向かう途中もそうだった。アメリカ人は皆、忙しそうに早足で横断歩道を渡っていたが、ボクは映画を観る以外にすることもなく退屈で、交差点の角のフィガロという粋な名の喫茶店でしばらく一人で孤独だった。目当ての、アル・パチーノ主演の『スカーフェイス』(84年)を観るまで時間が余っていた。そこの店長が「ここで『卒業』で名を売る前のダスティン・ホフマンがウエイターをしてたんだ」と教えてくれた。歩道を行きかう人の表情や仕草を観察していたとか。ロバート・デ・ニーロもやって来ては本を読んでいたとか。名優はこの暇な店が好きなんだと言った。ボクもなんか得したような気分だった。『スカーフェイス』は大好きな女優、ミシェル・ファイファーがマイアミの麻薬王の情婦役で登場した。そして、強情な主人公に気が移る女をさらりと演じ、知らぬ間に風のように消えていた。台詞は半分も分からなかったが傑作だった。アメリカ映画はアメリカで見るもんだと思った。同じ三十代の白人客カップルが、主人公が下品な台詞を吐く度、「オーマイガーッド!」と声を上げ、周囲の客を笑わせた。ニューヨークで観るギャング映画は格別だったな。今月の映画『遊星からの物体X』(1982年)『ランボー』(1982年)『スカーフェイス』(1984年)51

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