KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年11月号
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要するにヒットラーに関しては、人間性のカケラもない悪鬼のように描いておけば、どこからも文句は出ないという書き手の保身と不公平に、何かしら卑怯なものを感じていたのだ。ところが、水木サンの『劇画ヒットラー』には、人間ヒットラーが描かれている。たとえば、ヒットラーがチョビ髭に変える場面。もともと逆ヘの字のカイゼル髭だったのを、ナチ党に入る前に聴いた講演の演者がチョビ髭なのを見て、「カッコいいなあ……」とつぶやき、「おれの口ひげもあのように短くしよう」と決めたりする。ナチ党の党首として頭角を現し、上流社会に出入りするようになると、柱を見て「あっ!!大理石だ」と驚いたり、会食では肉団子のようなものを口に入れ、「うわー、うめえ。こりゃなんて料理だろッ」と感激したりする。私がもっとも感動したのは、画家を志してウィーンに出ながら、美術学校の入試に失敗して、落ち込んでいたヒットラーが、公園を散歩しながら、「この芸術的大天才が、いまやウィーンに埋没しようとしているではないか」と憤慨し、さらに落ちぶれて浮浪者収容所に入ったあと、同僚からもらったカフタンコートと山高帽を身に着け、「これで芸術的画家にみえらあ」「このスタイルこそ、オレのあこがれてたスタイルだ。イヒヒヒ、ざまあみやがれ」とうそぶいたりする場面だ。高校2年生当時、私自身が小説家を志しながら、医学部も目指すという状況の中で、苦しい勉強を続けても思うように成績が伸びず、かたや優等生たちは楽々と合格圏内の成績を取ったりして、私は現実に対する不如意と不安に苛まれ、水木サンの描く若きヒットラーに大いに共鳴するものを感じていたのだ。ほかにも、水木マンガのヒットラーは、機嫌のいいときには口笛を吹いたり、驚いたときには、「キャッ」と「鳥のような叫び」をあげたり、自決する前には、長年仕えてくれた秘書に礼を言いながら、「もっといいおくりものができないで残念だ」と、毒薬の小瓶を与えたりする。私はその後もヒットラー関連の本や映画をたくさん見たが、水木サンの作品ほど、実際に生きていたヒットラーを感じさせてくれるものはなかった。それはひとえに偏りのない冷徹な目で描かれているからだろう。「冴えてる一言」~水木しげるマンガの深淵をのぞくと「生きること」がラクになる~定価:1,980円(税込み)光文社 久坂部 羊さんの新刊49

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