う表題作を読んでいて、「あれ?」と思う箇所があった。その小説は、特別事件が起こるというようなものではない。平凡な家庭の仲のいい兄妹の日常風景である。それがきめ細かい描写をともなってゆっくりと描かれてゆく。五人家族の日常である。家の近くのやぶの中で光る、得体のしれないものの話。三人の兄妹が一人ひとり順に、その光るものについて父親に報告する。以下、小説からの部分抜粋である。「次の日、夜、みに行くことになつたの」上の男の子は、話を続けた。「晩御飯のあと。それで、和ちやんとお母さんと僕と良二とでみに行つたの。そして、坂道おりて行つたの。そしたら、今度、和ちやんが、光るものが見える、といふの。昨日と別のところに。それで、みんなでみたら、またあつたの、光るものが」「それで僕がおそるおそるみに行つたの。そして、入つて行つたの、やぶの中へ。そしたら、ちやうどその邊だといふの、みんなが。僕は、もうみえなかつたの、近づいて行つたら。そしたら、硝子の破片だつたの。みんなが、なに、なに?と聞いたの。だから、ぽかーんとしたまま、みんなの方へ戻つて行つたの。何もいはずに」 (略)「向うお山でひかるもーのは」とうたひだした。さういひながら、廊下をこちらへ歩いて来る。「つきか、ほーしか、ほーたるかー」おや、妙なうたをうたひ出したな、と私は思つた。 (略)ということで、わたしの詩では空缶だったが、この美しい小説では「硝子の破片」だったわけだ。足立巻一氏から与えられた宿題を、41年ぶりに果たせて、わたしは安堵した。(実寸タテ20㎝ × ヨコ12㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。107
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