KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
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ハードボイルドという乾いた文体で知られるジェームズ・M・ケイン。その文庫本は持っていたが、犯罪ミステリーはどうしても途中から飛ばし読みしてしまうので読み切れていなく、映画で不条理世界に初めて入り込めたのだ。昔のルキノ・ヴィスコンティの初監督作も同じ原作で後にビデオでは見たが、舞台がイタリアの田舎に変わっていて、知らないイタリア人俳優ばかりでどうも食いつけなかった。こっちも未熟だったからかな。これはもう一度、見直さなければと思っている。 そのJ・ニコルソンのアメリカ版はとても解りやすかった。その流れ者が、ギリシャ移民夫婦が営む食堂で働き出すのだが、色っぽい若妻に一目惚れして不倫関係になり、やがて、二人で主人の殺害計画を企てる話だ。不倫犯罪の典型だが、後の二転三転四転が愉しかった。人間の情動を自然に演じられる俳優たちがいたからだった。ボクも俳優の演技メソッドを一から学ばないと映画職人にはなれないと思った。街では、松田聖子の甘く切ない声が「渚のバルコニーで待ってて」と流れていた。バルコニーこそが時代の幻影だった。来生たかおの「夢の途中」や岩崎宏美の「聖母たちのララバイ」は幻影に夢を断った大衆を慰めた。80年代は人が社会の理想を思う前に、欲のままに自分が描く虚構を追い求め、虚構に振り回される時代だった。「BODY HEAT」(ボディヒート)と原題が示す通り、むし暑い夜に行きずりの美女と出会った若い弁護士がこれまた夫殺しを手伝う羽目になる、『白いドレスの女』(82年)もゾクゾクさせられて愉しかった。発想の枯れたボクの明日を切り開いてくれる映画ではないが、現実を忘れさせる白昼夢をスリリングに見せる良く出来た映画だ。虚構の作り方の勉強になった。キャスリーン・ターナーみたいな妖艶な女優は日本にいたのかな。アイドルばかりが目につく現実に付き合っていかなければならないのかと思うとまた滅入ってしまうのだった。元脇役俳優だったレーガン大統領が強いアメリカ主義を掲げていた。アメリカ映画も娯楽べったりの時代に変わり始めていた。見落としていた不敵な面構えのバート・レイノルズが刑事役の、『シャーキーズ・マシーン』(82年)を神戸の三宮で観た。殺し屋役のヘンリー・シルヴァに気を取られた。悪党がどう悪らしく描かれるかで娯楽映画は決まると教わった。どれもこれも懐かしいわ。今月の映画『郵便配達は二度ベルを鳴らす』(1942年・監督ルキノ・ヴィスコンティ1981年・監督ボブ・ラフェルソン)『白いドレスの女』(1982年)『シャーキーズ・マシーン』(1982年)37

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