KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
25/136

―静岡県のご出身ですね。自然が豊かな環境だったのですか?育ったところは、盆地だったのでまわりは山に囲まれ、山間をいくつも川がながれていました。僕の家のすぐ近くにも川は流れていたので、自然は常に身近にありました。幼稚園の頃は、家のまわりで虫を捕まえたり、虫の絵を描いたり。大きくなるにつれて風景画にも興味を持つようになっていきました。今でも自然からは多くのインスピレーションを受けます。時間があれば、六甲山だったり、自然の中に身を置きたくなりますね。木々をかき分け、葉擦れの音や風の音を聞き、光の角度で変化する緑を見ているととても刺激をうけます。―影響を受けた作家はいますか?子どもの頃、絵本「げんきなマドレーヌ」が好きでした。ベーメルマンスの大らかだけれど想像広がる絵にとても惹かれて、繰り返し眺めていた記憶があります。そういう意味でベーメルマンスが最初に影響を受けた作家だったのだと思います。―画家を志したのはいつ頃ですか?高校3年の頃だと思います。その頃から絵本を描いてみたいと思っていました。ただ、僕は高校時代、ボート部に所属していたので、高校時代ずっと絵を描いていたわけではありませんでした。でも、水面の上でボートを漕いで風を受けたりしながら、いつも絵を思い浮かべていたように思います。だから部活動を終えた高校3年の夏から画塾に通い、東京の美術学校に行くことを決めました。美術学校卒業後に応募した、雑誌『イラストレーション』のコンペ、ザ・チョイスで大賞を受賞してから少しずつイラストレーションの依頼が来るようになり、その頃働いていたデザイン事務所を3年勤めた27歳の時に絵だけでやっていこうと決めて絵描きとして独立しました。―2021年に六甲山に誕生した森のシェアオフィスROKKONOMAD(ロコノマド)では、植田さんの壁画がワークスペースを彩っていますね。大きな六甲の自然に包まれている感覚で描きました。高校時代のボート部の活動は学校から8キロほど離れたダム湖の中で行われていました。山間の中の大きなダム湖の上で細いボートがまるでアメンボのように小さく浮いていた光景はいまでも焼きついています。それに、子供の頃から、山や山に囲まれた川で遊んでいたので、大きな自然の中で、家や人はちいさく在るというのが僕にとっての自然体の構図になっています。―絵本作家になったきっかけは? 絵本を描きたいという思いを子ども時代は川や山が遊び場自然の存在の方が大きいという意識25

元のページ  ../index.html#25

このブックを見る