KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
20/136

うな存在でした。当時、平尾さんが住んでいた神奈川県茅ヶ崎へ行ったとき。湘南の海を見ながら平尾さんが、『色白の布施には、この海は似合わないなあ。湖がいいんじゃないか』と言いだし、即興でギターでメロディを弾き始めたんです。平尾さんのギターに合わせて私が歌って…。そうして、完成したのが『霧の摩周湖』だったんですよ」5年前の2017年、平尾さんは79歳で亡くなるが、その年に営まれた音楽葬で、この「霧の摩周湖」を師に捧げた。大ヒット曲誕生の制作秘話は、まだまだ続く。時代を超えて人々の心を魅了し続ける布施さんの代表曲の一曲「マイ・ウェイ」。1967年に作られたフランス語の曲を気に入ったポール・アンカが、新たに英語で作詞し、69年、フランク・シナトラが歌い世界中で大ヒットした名曲だ。「事務所の先輩の音楽家、中島潤さんが『マイ・ウェイ』の2曲目の「YOKOTA―」を選んだ理由について、自身の音楽のスタート地点を振り返るように語っていく。開花した才能1947年生まれ。東京都三鷹市で育った。横田基地に近い都立府中高校で青春時代を送り、途中、都心の豊島実業高校(現豊島学院高校)へ転校する。高校在学中、18歳で、プロの歌手としてデビューしたのだ。幼い頃から歌が好きで、その歌唱力は突出していた。高校時代に日本テレビ系の歌のオーディション番組で合格し、渡辺プロダクションにスカウトされた。同じ事務所には、憧れの大先輩「ザ・ピーナッツ」がいた。その翌1966年、「霧の摩周湖」が大ヒット。代表曲の一曲となる、この名曲の誕生秘話を教えてくれた。「この歌を作曲してくれた平尾昌晃さんは私の師のよツアーに合わせて10月1日、セルフカバー・ミニアルバムを発売した。「自分がこれまでに作った4曲をセルフカバーしました。アルバム用に曲を選ぶときに、なかなか絞り切れなくなってしまって。本当は、もっと曲数を増やしたかったのですが」と語る。「最後まで悩みながら…」選りすぐって収録したのは、「勝手に想い出」、「YOKOTA AIR FORCE TOWN」「ホテル・プルメリア」、「ついて来るなら」の計4曲。「私が30代の頃。いずれも1979〜1980年に発表した思い出深い曲なのですが…」と前置きしたうえで、「米軍の横田基地のある〝YOKOTA〟は、音楽を志す私にとって原点のような街でした。でも、実は横田という名前の市は存在しないのですよ。東京都福生市や立川市など6市町にまたがっている広大な米軍の基地。私の青春時代の思い出が詰まった地。それがYOKOTAなんです」20

元のページ  ../index.html#20

このブックを見る