KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
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僕もしばしば反復をテーマにすることが多いが、僕の中ではゴッホのように自画像を反復するという目的はほとんどないので、このような「画家の肖像」と題する展覧会ができるのが不思議である。ゴッホは明らかに意識して自画像を何点も反復しているのだが、もし僕に自画像が多いということになると、自画像は僕の無意識的行為ということになるのかもしれない。画家が意識しないで、何度も自画像を描くということは、一体どういうことなのだろう。これはどうも上手く説明できない。必要以上に自分に興味を持つということは、必要以上に自我意識が強いということで、決して感心できることではない。絵を描くという行為は、確かに私意識から出発するが、最終的には自我を凌駕して、普遍的な境地に立つのが芸術の理想的な姿であると考えているのに、これは誠に困ったことである。人はそんなには自分のことには関心を持っていないはずだ。自分だけの関心の対象を描くということは一体どういうことなんだろう。あんま「横尾忠則 画家の肖像」会場風景16

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