KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
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デ・キリコの肖像など、横尾が影響を受けた画家の肖像を展示。そこには師であり仲間でもある先人たちへの敬意や共感、批評等、様々な思いが見え隠れする。自己と他の画家との間を往還する『画家の肖像』によって、変幻自在の画家、横尾忠則の道程を辿る展覧会とした」この展覧会に関して、作家の僕がこれ以上説明のしようがないような気がするが、自分ではそれほど意識して自画像を多作した記憶がないのが不思議だ。作家は先ず自らに関心を持つところから創作を始めるのだが、僕のように、直接的に自らの肖像を描くという作家は、この平林さんの文章を読むと、何だか特異な存在のように思われてしまって、逆に僕自身が驚いている。神戸で始まって 神戸で終る ㉛本展の第一部『未来の自画像』では、移り変わる関心のままに主題や様式を変化させてきた横尾の根底にある自己探求のプロセスを、自画像というテーマから探る。虚像としての横尾忠則像を自ら複製する1960年代後半から70年代、試行錯誤を繰り返し、様々な手法で自身の姿をモチーフとして取り入れる1980年代、少年期の記憶から自身を見つめる1990年代、日常の延長をスナップ写真のように描きとめる近作など、自画像の変遷は、描くこと、生きることに対する横尾の意識の変化でもある。第二部『画家の肖像』では、画家への転身のきっかけともなったパブロ・ピカソや様式の定まらない横尾自身を重ねて道標としたフランシス・ピカビアやジョルジュ・第19回展(2018年5月26日~)「横尾忠則 画家の肖像」展について、担当学芸員の平林恵さんは次のように語っている。「1965年の自主製作ポスター《TADANORI YOKOO》以来、横尾忠則は作品にたびたび自身の姿を登場させている。1960年代後半から若者文化を牽引し、作品のみならず作家自身のイメージまでもがメディアによって拡散されてきた横尾にとって、主観と客観が混在する自身の肖像は特別なテーマであったと言える。また、グラフィックデザイナーから画家へ転身する1980年初頭には、確立したデザイン手法を封印し、絵画の中に自分らしさを求めて、多種多様な自画像を描き始めている。Tadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ14

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