KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年10月号
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まとめたもの。『雪』は惜しくも2021年3月に、その使命を終えて終刊となったのだが、初期からずっと、わたしの文章の師、宮崎翁が深く関わっておられた雑誌であり、わたしも定期購読していた時期がある。ということで、「追悼、宮崎修二朗さん」というページもあり、翁が亡くなったことを新聞の訃報記事で知った」と記されている。因みに、その訃報記事は、わたしの知らせによって掲載されたものであり、後日、追悼記事を文化欄に書かせていただいたのだった。そのページから略しながら引用させていただく。《4月1日、宮崎修二朗さんが、芦屋市内の病院で亡くなられた、ということを「神戸新聞」の訃報記事で知りました。98歳でした。私が初めて修二朗さんにお会いしたのは、今から40年近く前のことです。》と始まる。そうか、40年ほど前か。ならわたしとほぼ同じだ。《修二朗さんは、当時まだ65歳ぐらいでしたが、“いたずらっ子”といった感じのくりくり動く大きな目にハンチング帽、独特の長崎訛りの語り口で、私には、芸術家のような雰囲気の人という印象でした。(略)修二朗さんは、仲の良かった松田さんと、「願わくは花の下にて春死なむ…」(西行法師)のように春に死にたいね、と言われていました。その通りに、芦屋川の桜がはらはらと散っていった春の日に、誰にも見送られることなく、神戸大学医学部に献体され、この世からあちらの世界に身を移されたのでした。お・し・ま・いーと言って。 (2020年5月)》潮崎さんの文章を久しぶりに読んだが、離れていた距離がまた近くなった気がする。やはり、潮崎さんとわたしは兄妹弟子だ。(実寸タテ10.5㎝ × ヨコ15㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。111

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