今村 欣史書 ・ 六車明峰連載エッセイ/喫茶店の書斎から 草野心平つながりあることに興味を持つと、それに関連する事柄が次々と目の前に現れて来ることがある。今回はその一例。店先のプランターにわたしの親指ほどの雨蛙が一匹出現。こんな場所では生きにくいだろうと思い、隣の地蔵さんの境内にある花壇に移してやった。雨の夜には、鳴き声が天まで届けとばかりに響いている。そんな時、K君という高校生の詩を評することになった。その詩はまだ発表されていないので詳細は書かないが、タイトルが「蛙よ」である。オノマトペを活用して、胸の内を表現したユニークな作品。彼が「蛙の詩人」として有名な草野心平を知っているかどうかは不明だが、自分なりの工夫をしていて、模倣とはいえず、感心して読んだ。さらにその時に読んでいた本が、イラストレーターでもある文筆家、金井真紀さんの『酒場学校の日々』(皓星社刊)だった。読み始めて知ったのだが、実は金井さん、草野心平の大フアンで、心平が昔経営していた飲み屋「火の車」からつながる店の経営にまで関わることになる。そんなてんまつが書かれているもの。ちょっと一部を紹介しましょう。というのも「火の車」はわたしが尊敬してやまない足立巻一先生にも関わってくるので少し寄り道。足立先生の幼友達の詩人、米田透が元町本通りから少し小路を入った所で始めた飲み屋の名前が、心平の「火の車」に因んだ「貧乏神」だった。足立先生は反対したが、米田は心平のフアンだったのだろう、聞く耳を持たなかったという。始めのうちは詩人の富田砕花や作家の白川渥など文学仲間が出入りし、「サンデー毎日」に取り上げられるなどにぎわう。しかし結果的には、足立先生が心配した通り、わずか七カ月ほどで廃業に追い込まれる。で、心平の貧乏話である。心平の親友、詩人伊藤信吉との対談の様子。草野 誰かがくれた鮭一匹が、たった一つの装飾だったな。柱にしばっておいて、片方からはさみで削って食べていたんだ。前を食い、裏返して後ろを食い、しっぽから骨、最後に頭と、全部食べた。歯は丈夫だったね。だから鮭の骨を食うなんてわけなかった。鮭の歯と俺の歯とどっちが硬い、なんて言いながら、何も残さずに全部食べてしまうわけだ。伊藤 うん。鮭をはさみでちょんぎって食べていたのを見たことがあるもの。98
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