KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年9月号
124/130

繰り返される映像化明治生まれの文豪、谷崎潤一郎(1886~1965年)が遺した小説の世界観は、令和となった今も、日本人の心を魅了し続けている。現在まで小説の多くが原作となり映画化が繰り返されていることも、その一つの証明といえるだろう。谷崎は東京で生まれ育ったが、関東大震災後、関西に移り住んでから、数々の長編小説の名作を手掛けている。その中には神戸で家庭を築き、生み出した傑作も少なくない。若くして文豪と呼ばれた谷崎だが、決して恵まれた環境で育ったわけではなかった。祖父は実業家として成功するが、父の代で事業は傾き、家計は困窮し、尋常高等小学校からの進学が危ぶまれた。住み込みで家庭教師をしながら、東京都立の現日比谷高校に進学し、苦学しながら東大へ。だが、苦しい家計は変わらず、学費未納で大学を中退している。一方、学生時代から小説を書き続け、処女作の短編「刺青」(1910年に「新思潮」で発表)が文壇を賑わし、20代前半で一躍、作家として脚光を浴びる。人気小説の「刺青」の世界観は時代を経ても色褪せず、1966年に増村保造監督が、若尾文子主演で映画化して以来、瀬々敬久監督版(2007年)など、2009年まで5回、映画化され、テレビドラマも含め映像化が繰り返されてきた。また、「刺青」と同様、数あまた多の監督が、その唯一無二の活字の世界観に魅了され、繰り返し映画化してきた谷崎作品の代表的な一作として、「細雪」が挙げられるだろう。神戸を愛した文豪1923年、箱根にいたときに関東大震災に遭った谷崎は、横浜の自宅が火事で焼けたため、初めて関東から関西へと引っ越してくる。この関西での生活が谷崎の人生に大きな変化をもたらす。「震災の明くる年の九月に神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㉙前編谷崎潤一郎神戸から名作を繰り出した文豪の素顔124

元のページ  ../index.html#124

このブックを見る