KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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ハガキには幾度となくホークス、王会長のことが綴られている平成11年10月5日に発行された『from Rijicho』では悲願のリーグ優勝が報じられた対して厳しく、時には社員の胸にあるネームプレートを取り上げたという話も聞きました。でもね、意外と褒めることもしていました。いいところは、なかなか世の中に伝わらないですね。その点、僕は自分である程度やれたもんですから甘いですよ(笑)。―平成11年(1999)に悲願の日本一に輝きました。その時の心境をお聞かせください。前の年が大事でした。今まで3年間苦労したけど、形になり成績もそこそこ良かったんです。これでプロとしてやっていけると、手応えを感じた選手も多かった。技術に関しては何度もやってみることだと話しました。そうなると伸びるんですよ。監督に就任してから中内さんは野球に関して一切、口を挟まず任せてくれました。シーズン中は電話でも話したことはありません。お忙しい人でしたから、グラウンドには年に一度しか姿を見せませんでしたね。でも優勝が決まった時、とにかく中内さんは喜ばれていました。僕自身はユニホームを着た時に交わした約77

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