KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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い。お恥ずかしい話ですが、学び始めのころは狩野派を知らなかったのです。それで日本の美術を学び直し、いまも勉強を続けています。また、掛け軸、器、それを置く場所も学ばなければならないのです。─それで、数寄屋との出会いに結びつく。駿川 先生の作品集を見て、その背景が気になりました。どこで撮影したのかを調べたら、畠山記念館というところでした。先生のお話には、俵屋や美山荘もよく出てくるのですが、これらを手がけたのが中村外二工務店でした。今から22年前に京都のお店を訪問し、お話を伺いました。その時は勉強不足を痛感し「今の自分には及ばない世界だ」と思いましてね。もっと学んで、成長してその時が来れば、改めてお願いしようと思って帰ったことを思い出します。2019年、再度連絡を取って京都の料亭「十牛庵」ではじめて公治さんにお会いして、また半年後に旅館に来床柱を選ぶことから数寄屋仕事は始まる。床柱には赤松の皮付き丸太。葦と藤蔓で編んだ下地窓、赤杉中杢板貼りの竿縁天井など職人の技が集約されている36

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