KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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─いけばなとの出会いは。駿川 1998年の2月のことです。たまたまテレビを観ていたら「花を愉しむ」という講座をしていてとても感激しました。明くる日にテレビ局に問い合わせたところ、池袋で講座があるというので、4月から通い始めたのです。先生が花を生けている姿も凛として美しく、一目惚れしました。─東京まで通ったのですね。どんな講座でしたか。駿川 最初の1年は実技なしの講義のみ。「涙あふれる花」、記憶が思い出されるような花というお話を聴いて、「なげ入れの花」はいわゆる「華道」とは違うなと思いました。それが「茶花」というのは後でわかったのです。中村 我々も「凛とする」という部分は共感できます。背筋が伸びるような、緊張感がある世界というのは、建築の世界にも通じるものです。駿川 1年後、実技指導になるのですが、ある日先生が「狩野絵画のような秋の世界の花を生けてください」と言うのです。ですから、狩野絵画のイメージがないと一輪も生けられな22年を経て夢叶う茶室の寸法で仕上げた和室。前室の天井には、版木に彫られた模様を一枚一枚手で摺り上げる京唐紙を貼る。壁は聚楽土で仕上げる「花は野にあるやうに」とは利休の教え。流派の型にはまらない駿川さんの「なげ入れ」35

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