KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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香川さんには、何としても出演してほしかったんです」。そんな五十嵐監督からの熱いラブコールに、香川さんは快く出演を了承してくれた。「香川さんは『ひめゆりの塔』に出演以来、今までずっと沖縄の人たちと交流を深め、連絡を取り合っているんです。だから、『私が出なければね』と決意し、撮影のために沖縄へ駆け付けてくれました」ドキュメンタリーで修業青森県で生まれ、地元の県立弘前高校から上京し立教大学へ。 大学では自主製作映画にのめり込み、卒業後は映像スタッフとしてテレビ番組を制作していた。制作していたのは1959年から90年まで約30年続いた人気番組「兼高かおる世界の旅」だ。「私が参加していたのは長寿番組の最後の頃。兼高さんが監督兼通訳を務め、後はカメラマンと助手の私。撮影スタッフは実はこの3人だけだったんですよ」と苦笑した。 3人で海外を旅しながら、ドキュメンタリ―の制作手法を身につけ、現場で鍛えられながら映画の世界へ。ドキュメンタリー映画「SAWADA 青森からベトナムへ ピュリッツァー賞カメラマン 沢田教一の生と死」(1996年)、浅野忠信が報道カメラマン、一ノ瀬泰造を演じた「地雷を踏んだらサヨウナラ」(1999年)など、これまでベトナム戦争をテーマにした映画も撮ってきた。かつて取材した際、五十嵐監督は「沢田、一ノ瀬という人間像に迫りたかったから」と映画を撮った理由を語っていた。だから、新作の「島守の塔」も、「決して戦争映画でも、偉人伝の映画でもないのです」と強調する。一方、ソ連によるウクライ20

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