KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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行っていたのですが、観光地ではない沖縄を巡ることになりました」さらに、島田が育った神戸も訪れた。「島田の母校、県立兵庫高校がある長田区、開業医の生家のあった須磨区など島田さんゆかりの地を訪ねました。彼が何を考え、どう成長したのか、その背景に思いを馳せながら…。須磨海岸で白い砂を手にしたとき、沖縄の海岸の砂の色と同じことに気づきました」次に荒井の故郷、栃木県を訪ねた。「地元の新聞社や親戚の方のお宅にお邪魔し、荒井さんの話を聞くことができました」島田叡と荒井退造。二人の故郷を訪ね歩くなかで、「なぜ、この二人が広く日本で知られていないのだろうか? この二人の人生を映画で描いてみたい。戦争映画でもなく、偉人伝でもなく…」。そう心の中で決意していた。映画化の準備を始め、二人のゆかりの地元企業をはじめ、市民の賛同者、島田の故郷の映画の舞台は、県民の4人に1人が亡くなった激戦地、沖縄。戦争末期、本土から二人の内務官僚が沖縄県に着任する。一人は神戸市出身で学生野球の名プレーヤーとしても名を馳せた内務省のキャリア、島田知事(萩原聖人)。もう一人は栃木県出身で、巡査となった後、苦学し内務省に入り警察官僚となった荒井警察部長(村上淳)。二人は県民に「玉砕」を強制する軍部に抵抗し、最後まで県民の命を守り抜こうと奮闘する…。なぜ、今作を撮ることに決めたのか?「あるプロデューサーから、興味深い男がいる。彼を主人公に映画を撮ってみないか…。そう勧められたのが島田叡さんでした」当時、島田について知らなかったというが、調べるうちに次第に興味が沸きあがってきた。「すぐに沖縄へ飛びました。島守之塔、読谷のチビチリガマなどを訪れ、島田さんが亡くなるまでの行程を辿りました。それまでも沖縄は好きでよく(撮影終了)した。 「何とか、すべてのシーンを撮り終えることができました。絶対に撮影は再開する覚悟でしたが、コロナはなかなか収束しないし、実は内心は毎日、とても不安でしたよ」と打ち明けた。戦争映画ではなく…沖縄県糸満市にある平和祈念公園に、県職員や有志らが建立した「島守之塔」と命名された慰霊塔がある。1945年、第二次世界大戦末期。沖縄に上陸した米軍など連合国軍の包囲網から県民を守ろうと、その先頭に立って塹壕を転戦。しかし、連合軍に完全に包囲されたことが分かると、最後に「絶対生きのびるんや…」と言葉を残し、塹壕を出た後、消息を絶った戦中最後の沖縄県知事、島田叡。そして島田と最後まで行動をともにした沖縄県警警察部長、荒井退造ら県職員を祀った塔だ…。映画のタイトルは、この「島守の塔」に決めた。18

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