KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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に思う。死という実相の世界から生の世界を見ると、生の世界はまるで虚構のように思える。生から見る世界を虚構としているが、それは生者の身勝手な見方で、こちらの物質的世界こそ、実相の世界だと思っているからである。これは人間が死なないとわからない世界で、死んで初めて気づくのではないかと思う。生と死を逆転して考えることで、こちらの世界がまるっきり違って見えるはずだ。だから僕は現実を描くために死の側に立脚して考えるのである。死の世界は相対的な世界だから、向こうから見るこちらの世界は、すべてインチキな作りものに見える。このような視点を持つことで、逆にこの現実世界の真実が浮かび上がってくるのではないか。僕の作品の根底に死があるのは、このような理由からである。此岸から見る彼岸の世界ではなく、あくまでも彼岸から見る此岸の世界を描こうとしているのである。ここを理解していただかないと、僕の意図を逆に読まれて「横尾忠則の冥土旅行」 会場風景14

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