KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
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世界へのこだわり昨年夏に開催された東京五輪・パラリンピック。トライアスロンでは男女ともにアシックスの開発したシューズを履いた選手が金メダルを獲得し、鬼塚喜八郎が目指す〝世界で戦う強さ〟を証明した。オニツカタイガーのシューズが初めて五輪に参戦したのは今から66年前。1956年のメルボルン大会以来、挑戦を続けている。「オニツカが国際化するためには、まずオリンピックで認められること…」。そう決意した喜八郎が、初めて五輪の会場を訪れたのは1960年、ローマ五輪のときだった。そこで、喜八郎は衝撃的な光景を目撃する。マラソン競技のゴール地点。彼の目の前を、無名の黒人ランナーが駆け抜けていった…。このときの喜八郎の驚きが、自伝「念じ、祈り、貫く」の中でこう綴られている。ローマ五輪で金メダルを獲得したランナーについて、当時の彼は何も知らなかった。「誰だか分からないので、隣にいた人に聞きますと、エチオピアのアベベ選手だと教えてくれました。こちらは靴屋ですから、すぐにどこのシューズを履いているのだろうかと足元を見るくせがありますが、アベベ選手はシューズを履いていないではありませんか」アベベの足元を見た瞬間、彼はこう考えた。「近代オリンピックの花と言われるマラソン競技で裸足のまま走るとは前代未聞ですし、マラソンは裸足で走るのがいいなどと言われるようになったら、靴屋はお手上げです。何とかアベベにシューズを履かさなければと強く感じたものです…」と。4年後の五輪の開催地は東京だったから、尚更、喜八郎はアベベにオニツカタイガーを履かせたい、という思いを募らせていった。翌年、そのチャンスが巡ってくる。日本開催の毎日マラソンの招待選手として来日したアベベの宿泊先に喜八郎は出向く。「今回も裸足で走る」と言うアベベに対し、「日本の道路にはガラスの破片なども落ちているので、大事な足を傷つけるかもしれない。ぜひシューズを履くべきだ」と喜八郎は粘り強神戸偉人伝外伝 ~知られざる偉業~㉘後編鬼塚喜八郎机一つから世界へ…チャレンジ精神は今も130

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