自分が見ていないからという理由で霊の存在を否定する人は大半である。僕は「幽霊を見た」という人がいれば、何の疑いも持たなかった。歴史的な文献の中には幽霊譚など世界中どこにでもある。それでも、自分は見ていないから否定するという考え方は創造力の枯渇だと思う。第一、この物質的世界の事象が全て解明されたわけではない。むしろ知らないことの方が遥かに多いはずだ。まあ、ここで、死後生の存在を論じるつもりはないが、昔から彼岸や此岸という生と死を分ける言葉がある。この「冥土旅行」という展覧会は、とりあえず死んだ人間の魂が死の世界を彷徨するということを前提として構成されているが、僕はいちいち死を前提にした絵を描いているわけではないが、知らず知らずのうちに無意識に絵の中に死のイメージが侵入しているのだと思う。一般的には死は生の延長として考えられるが、僕は逆に死の側から生を眺めているよう「横尾忠則の冥土旅行」 2018年13
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