KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年8月号
124/136

アリマニア秀吉は有馬の恩人?厄介者?安土桃山時代語り調子でザッと読み流す、湯の街有馬のヒストリー。有馬温泉史略有馬温泉史略第八席前回申し上げましたように、秀吉の最初の有馬入湯は、三木合戦終了後の1580年とされていますがこれは伝承。文献では1583年、有馬温泉が秀吉の蔵入地になった3か月後で、自分の領地ですから大手を振ってやって来たのでしょうかね。10日ほどの滞在に石田三成や増田長盛、一説には正室の*ねねも随行。賤ヶ岳合戦の疲れを温泉で癒やしたことでしょう。有馬でリフレッシュした秀吉は小牧・長久手の戦いに臨みますが、家康が相手とあって苦戦します。状況が膠着した1584年に有馬にやって来て10日前後のヒーリング。その後家康との和睦と相成りホッとしたのか、翌年の年明け早々に有馬にやって来て2度も茶会を開催、千宗易や山やまのうえ上宗二、津田宗及らもご相伴にあずかっています。秀吉が去って程なく、ねねが有馬へお風呂入りにやって来て、「1576年の大火で焼けちゃった薬師堂を再建してね♪」と寄進、有馬の人たちは喜んだことでしょう。ビバ!秀吉の空気の盛り上がりを察してか、秀吉は前回の入湯からわずか8か月後に石田三成、増田長盛、大谷吉継、千利休、今井宗久・宗薫父子ら総勢52名を引き連れて有馬温泉を訪ねます。ゴージャス!その後の入湯は、1587年に九州征伐の慰労に来て、1589年にも豪遊し湯女に金をばら撒いたという説があります。一方で天下統一までの5年間は有馬断ちして戦に集中していたという説も。さて、見事天下統一を果たして3か月弱後、秀吉は有馬へ凱旋します。戦の日々から解放されてホッとしたのか、20日間のんびり。千利休や小早川隆景、有馬の人たちと阿弥陀堂で茶の湯を楽しんだとか。124

元のページ  ../index.html#124

このブックを見る