なってしまっていた。死後生の存在に対しては、最初からあるにきまっているという想いが強かったが、大半の人達、特に知識人は死後生を否定していた。科学的に解明できないものは、この三次元の物質世界には存在しないという唯物的思想がまかり通っていた。そんな中で僕は、理由もなく、肉体が消滅しても霊魂は残る。われわれ人間は肉体的存在であると同時に霊的存在であり、輪廻転生を当然のように認めていた。このような考えは一体何を起因として信じているのかといわれても、説明のしようがなかった。だって死んだ人の家から火の玉が浮遊しながら、どこかに飛んでいったとか、幽霊を見た人も田舎ではそう珍しいことではなかった。神戸で始まって 神戸で終る ㉚いうことが常に不安をかき立てていた。そしてさらに戦争の恐怖が日常生活を支配していた。毎日のように飛来してくるB29、山ひとつ越えた先の神戸が空襲で夜空を炎で真っ赤に染める。爆弾が何キロも離れた僕の郷里の西脇まで、家のガラスを震わす。戦争を経験した僕の世代の人間は誰もが体験した戦争の恐怖である。幼少期の戦争体験は終戦後も、心の奥に住みついていて、死への観念は肉体の細胞の一部となったまま、人格が形成されてしまっていたように思う。意識するしないに関わらず、死の観念はいつの間にか僕の作品の核になってしまったようだ。そんなわけで、人間死んだらどうなる?という関心は子供の頃から僕の最も強い関心事に第18回展は「横尾忠則の冥土旅行」。本展のキュレーションは、林優。林の言によると「横尾がグラフィックデザイナー時代から現在に至るまで関心を持ち続けてきた〈死後の世界〉を想像して〈死の側から生を見る〉ことで、自らの生き方を見つめてきた横尾のまなざしを追体験する場として、絵画、写真、ポスターなど約100点の作品を〈神曲〉〈赤〉〈Back of Head〉〈謎の女〉の4つのセクションに分けて紹介した」。いつの頃からか、死への関心が作品の背景に表われ始めた。死への関心というか恐怖は子供の頃に植え付けられた想念だと思う。養父母が老齢であったことから、僕が成長するまで存命でいられるかどうかとTadanori Yokoo美術家横尾 忠則撮影:山田 ミユキ12
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