「終戦の間際は加西市の鶉野飛行場にいた」。当時、5歳だった叔母が今年に入ってそんなことを呟いた。祖父の故・西山圭一は明治45年生まれ、姫路市出身。地元の姫路西高校を経て東京商船大学に進学。在籍中に出征し終戦後は垂水区に自宅を構え港湾事業を手掛ける『上組』で神戸港の陣頭指揮をとった。これまで語られることのなかった戦争体験のエピソード。最後まで貫いた無言の時間を埋めるべく現地へと向かった。『鶉野飛行場』は優秀なパイロットを養成するため昭和18年に完成した。祖父は海軍として中国南部を転戦し19年12月8日『姫路海軍航空隊』に入隊。4度の空襲にあいながら施設を管理した。ここでは若者(17歳~25歳、約500名)が30時間の飛行訓練を受け全国へ羽ばたいていった。戦局悪化に伴い翌年2月には希望者を募り神風特別攻撃隊『白鷺隊』を編成した。「特攻を控えたお兄さん達やその両親を自宅に招き、心ばかりのご馳走を振る舞った」と当時の光景を振り返る叔母。沖縄戦支援のため4月6日~5月11日にかけて6回に渡り特攻出撃し63人が戦死した。飛行場跡の碑文には「美しく空に果てたり鶉野の 雲夕焼けて朱くたゆとう」と綴られてあった。矛盾を感じながらも口にすることなく失われた尊い命。青く澄んだ播州の空を見上げ祖国のために散華した英霊に感謝の祈りを捧げた。第一〇四回祖父が見上げた鶉野の空~飛行場跡地を辿る~神戸のカクシボタンkakushi button写真/文 岡 力■岡力(おか りき)コラムニスト・放送作家ふるさとが神戸市垂水区。関西の大衆文化をテーマとした執筆・テレビ、ラジオ番組を企画。連載「のぞき見雑記帳」(大阪日日新聞)「球友再会」(月刊神戸っ子)滑走路空中写真(加西市提供)鶉野平和祈念の碑苑この地でテスト飛行した「紫電改」(下)と特攻に使用した「九七式艦上攻撃機」の実物大模型■加西市地域活性化拠点施設『soraかさい』加西市鶉野町2274-11https://www.sorakasai.jp/101
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