KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年7月号
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兵庫県医師会の「みんなの医療社会学」 第一三三回ます。しかし、1985年に医療法が改正され、これにより都道府県医療計画が策定されるようになり、2次医療圏と基準病床数が設定されます。このことが“駆け込み増床”を誘発しましたが、この法改正を機に「機能分化と患者の視点に立った医療提供体制の整備の時代」へと移行していきます。─それで1990年以降は病床が減少していくのですね。鈴木 特に2001年~2006年の小泉政権は「医療亡国論」、つまり医療費が増え続けると国の借金が増大して国が亡びるという論理で医療改革制度をおこない、医療費を抑制しました。その結果、経営が悪化して病床数の減少を余儀なくされた医療機関も少なくありませんでした。2006年に日本医師会が発表した「小泉政権における医療政策の総括」では、給付費の抑制、家計における負担増加、官による医療費コントロール手法の導入、民間企業への利益誘導がお─増加した時期にはどのような背景がありましたか。鈴木 1955年から1985年は「医療基盤の整備と量的拡充の時代」で、実質ペースで5か年あたり15~20万床増加しています。その要因として、国民皆保険の確立、患者負担の低下、老人医療費無料化、老人保険制度の創設などが挙げられ─わが国の病床数はどのような推移をたどってきましたか。鈴木 戦後、日本の一般病床数は増加していきましたが、1990年を境に減少していきました。近年は機能別にみた病院病床数についても、一般病床、精神病床、療養病床のいずれも次第に減ってきています。日本の病床数の推移と今後の課題について兵庫県医師会医政研究委員鈴木クリニック院長鈴木 康徳 先生90

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