KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年7月号
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相手の立場になって考える教育野球で生活できる人生に感謝 連載コラム 「球きゅうゆうさいかい友再会」   文・写真/岡力<コラムニスト> あの日あの頃、いつの時代も白球のそばにはドラマがある。このコーナーでは京阪神の野球にまつわる様々なエピソードをご紹介します。Vol.3 野球だけでなく大人としても成長して欲しい中島輝士さんの新たな挑戦「監督はコーチと違って責任があります。野球以外に学校生活、就職もありますから。成長期だし、鍛えたら必ず伸びますよ」。かつて日本プロ野球界において強肩強打で活躍した中島輝士さんは大学内にあるグラウンドを眺めながらそう語った。1962年生まれ佐賀県出身。小学2年から野球を始め柳川高校に進学。1年時から投手としてマウンドに立ち注目を集めるも父親の急逝もありプロ入りを断念。名門・プリンスホテルに入社したが20歳の時に肩を壊し野手への転向を余儀なくされた。「このままではダメだと思いました。あの時がターニングポイントでしたね」と振り返る。その後、不屈の精神で練習に打ち込み全日本メンバーとしてソウル五輪では銀メダリストに輝いた。迎えた1988年のドラフト会議では日本ハムファイターズより1位指名を受け入団。即戦力として開幕戦から打席に立ちオールスターゲーム(92年)にも出場した。96年に近鉄バファローズに移籍し引退後はコーチ、スカウト、監督として台湾、独立リーグ、韓国を渡り歩いた。逸材を見極めるポイントをお聞きすると「走る姿勢、歯、足首を確認。あとはお母さんの体格。お父さんは見ない」と笑った。2020年、京都先端科学大学の監督に就任。「接戦を制するには成功体験が必要。グラウンド内では古い指導を軸に最低限のマナーを教えています。自分自身も日々、勉強です」。新天地で中島さんの新たなゲームがスタートしている。87

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