私の知っている辻中さんには俗界の垢は感じられなかった/辻中さんは善意の人であった/だから合評会ではいつも少しトンチンカンなところがあった/そこがほほえましく 同人のみんなから親しまれていた/辻中さんは/人柄のにじみでた詩をお書きになっていた/詩を〈である調〉で書かれたりするのであった/天衣無縫で 神妙で たくまざるおかしさがあった/辻中さんの詩の世界には/あちこちに風穴があいていて/そこからこの世ばなれのした/いい風が通っていた/私はその風にあたると/〈辻中さんは別格だ〉と思ってしまうのだった(後略)これは正に禅の境界ではないか。しかし以倉氏の話では、辻中さんが禅をやっておられたことは全く知らなかったとおっしゃる。辻中さんは詩の会では禅の話をせず、禅の会では詩を話題にされなかったのだ。見事ではないか。辻中さんの文章がある。「栽松会」30周年記念誌に「夜座」と題した遺稿。西宮森林公園での夜を徹しての座禅会の様子を描いたものである。それを今、改めて読むと、なるほど書きなれた文だ。こんな場面がある。 《蛙の鳴き声がし、下方の谷川 から水音が聞こえてくる。山林 が月を浴び、陰影で佛の顔に なったりする。》この森林公園での徹宵座禅は、栽松会の年に一度の恒例行事になっていたもの。わたしも参加しており、あるところに文章を書いたその一部分。 《夜が更けるにしたがい、下の町 の騒音も遠のき、やがて静ま り、体が自然に溶け込みます。 小川の流れ、木々を渡る風、ビ オーン、ビオーンとウシガエルの 鳴き声。》あの時に戻り、もう一度修業をし直したい思いが湧く。しかし、禅にはこんな言葉がある。「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」時は流れてしまった。(実寸タテ8.3㎝ × ヨコ17㎝)■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。107
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