KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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■今村欣史(いまむら・きんじ)一九四三年兵庫県生まれ。兵庫県現代詩協会会員。「半どんの会」会員。西宮芸術文化協会会員。著書に『触媒のうた』―宮崎修二朗翁の文学史秘話―(神戸新聞総合出版センター)、『コーヒーカップの耳』(編集工房ノア)、『完本 コーヒーカップの耳』(朝日新聞出版)ほか。■六車明峰(むぐるま・めいほう)一九五五年香川県生まれ。名筆研究会・編集人。「半どんの会」会計。こうべ芸文会員。神戸新聞明石文化教室講師。《もうずいぶん昔のことで、今では確たる証拠もないのであろう。しかし、宮崎翁がこの異人館をお世話なさったのは間違いのないところ。》少しぼかして書いたわけである。続けて翁はこう話された。「ぼくの知り合いでドイツ人の未亡人にお願いしてお世話しました。しかしね、田辺さんはここに常時住んでおられたわけではないから、留守中に若い連中が入り込んで寝泊まりされたりということがありました」小川洋子さんと田辺さんとの話に戻る。「知ってる人が勧めてくれて」とある。その「知ってる人」とは間違いなく宮崎翁なのだ。宮崎翁が直接田辺さんに勧めたのだ。カモカのおっちゃんの“釣りの餌”ではなかったのである。宮崎翁の話に少しでも疑いを持ったわたしが恥ずかしい。ここは聖子さんの記憶違い、というより創作なのだろう。作家さんですからね。  そういえばわたしは、翁の話として、こうも書いている。「ぼく、そのお世話をした時に、田辺さんから記念の絵を戴きました。彼女が描いた異人館のスケッチ画です」その絵、後に翁からわたしに贈られました。『触媒のうた』を書き上げたご褒美として。鉛筆での素描に、青・緑・茶の三色がササっと水彩で刷かれている。ローマ字でSeikoとサインがあり、昭和41年5月8日の日付。ということは「感傷旅行」で芥川賞を受けた2年後、38歳の作だ。聖子さん、いよいよ大きく羽ばたき始めたころの絵である。その絵が今、「喫茶・輪」の書斎に飾られている。わたしは宮崎翁と聖子さんに見守られている気がしている。贅沢なことだ。(実寸タテ15㎝ × ヨコ10㎝)91

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