KOBECCO(月刊 神戸っ子) 2022年6月号
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士の後遺症モノが次々に封切られていた。主人公の空軍少佐もテキサス州のサンアントニオという田舎町へ帰ってくる。ウィリアム・ディヴェインというまったく知らない俳優だが、その心の病んだ表情に圧倒された。何年間もの捕虜生活で凄い拷問を受けたのか、鋭く険しい顔にすぐに同情できた。共に帰還した部下の伍長役のトミー・リー・ジョーンズという無名の新人も心に穴が空いた異様な感じが出ていて、邦画にこんな自然体の役者はいないなと思った。2人は町の英雄として迎えられ、千枚の銀貨と赤いキャデラックを贈られる。少佐は家に帰るが、妻は長い年月を待ちきれずに新しい男とデキてしまっていて、一人息子もなつかなくなってしまう。ある日、銀貨のニュースを知ったメキシコ人の強盗団が押し入り、母と息子は射殺され、少佐も片手をぐちゃぐちゃに砕かれてしまう。この酷い運命に、ボクは両手両足があっても思うようにいかない自分を重ねてしまい、主人公と一緒に「光る稲妻」となって早く悪党どもをやっつけに行きたくなった。付けた義手で銃に弾を込める練習をする場面も忘れられない。凄まじい復讐劇が待っていた。観た後、ボクも少し心が軽くなったのか、また出直そうと東京駅から夜行バスに飛び乗っていた。主人公の心が分かる孤独なウエイトレスの女がいい。ボクもそんな人を求めていたのだが。夏になるとテレビで、 サザンオールスターズというバンドが『勝手にシンドバッド』をがなっていた。ボクはその調子良さが判らなかったが、代わりに、アメリカのザ・バンドの解散コンサートを記録した『ラスト・ワルツ』(78年)に孤独を慰めてもらえた。あんな最高に切ない音楽モノは初めてだ。24時間テレビの「愛は地球を救う」という番組も現れた頃だ。テレビ娯楽に邦画は駆逐されそうだった。9月になると、マックィーンの『ブリット』(68年)以来のスリリングなカーチェイス映画『ザ・ドライバー』(78年)に出会った。これも拾い物だった。主演はライアン・オニール。あの甘い顔立ちから一転して、夜のロサンゼルスを駆け抜ける無口なアウトローを初めて演じた。ノータイで黒い背広姿が粋だった。役名もドライバーだ。銀行強盗の逃走を助ける彼を追うディテクティブ(刑事)、強盗、密告屋、イタチ野郎、そして、美女のプレイヤー(賭博師)、絡む市井の徒たちが全員、渾名で登場した。誰もが孤独を生きていた。自分も一緒だなと安心した。映画という娯楽芸術、いや、有り体に言えば、気を取り直す装置と向き合えただけでもうれしかった。今月の映画「ローリング・サンダ―」(1978年)「ラスト・ワルツ」(1978年)「ザ・ドライバー」(1978年)39

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